日本三奇探訪、コンプリートしたので記して行きます。
ひとつめは兵庫県高砂市、生石神社(おうしこじんじゃ)の石乃寶殿。竜山石の岩山からくり抜いた巨大な作石。迫力があり存在も不思議で、特に古代史好きな人でなくても一見の価値あり。
石のまわりをぐるっと見て、後ろの出っ張りが家形石棺の縄掛突起と似ているなと思う。
となると600年前後に作られたものなのかな?
家に帰って播磨国風土(715年頃編纂)を開くと、印南(いなみ)の郡の条にこう書かれていた。
『原の南に作石がある。その形は家のようである。長さは二丈(約6m)、広さ一丈五尺、高さも同じぐらいである。名づけて大石といった。伝えて言うには、「聖徳王の御世に、弓削の大連が造った石だ」ということである。』
場所やサイズからして石乃寶殿の事を指すと見て良いだろう。そして聖徳太子が活躍したのは600年前後なので、デザイン的にも時代がばっちり符号。気持ちいい。
益田岩舟や牽牛子塚古墳などと照らし合わせて考えると、作りかけの横口式石槨と考えるのが順当ではある。しかしそれなら外側もここまでピシッと整えなくても良い様な気も。何を作りたかったのかはさて置き、切り出してみたものの、大き過ぎて運べなかったのかなと想像。